我孫子駅前校 からのお知らせ:
講師の青木です。最近、考えていること
こんにちは、ノーバス我孫子校講師の青木です。
今日は入塾している方、また入塾しようと検討している方、さらには最近勉強に少しでも興味がわいてきた方や、むしろまったく勉強に関心が持てない方へのメッセージをお届けします。
ここに多くの方が心に抱いている一つの疑問があります。
「なぜ我々は学ぶのか」
非常に大きな疑問です。誰かに理由つけられたわけでもなく、人は生まれながらにして学んでいるのです。もちろん、「学び」というのは学校の勉強や数学、英語などだけではありません。どのように寝返りを打ち、立ち上がり、初めて言葉を発するのか。それも大きな「学びの」一つだと僕は思っています。
「学ぶ」と何が得られるでしょうか。
それは、知識です。
勉強だけでなく、日々の成功・失敗などすべての経験が「学び」なのです。人はその中で知識を得ていきます。そして、それを日常・社会生活の中で生かしていきます。だからこそ、よく経験が大事などと言われるのです。
しかし、ここは塾です。
つまりは、「勉強する場」なのです。勉強は「学び」の部分的なものにすぎません。
では、なぜ勉強に特化したこの塾が必要なのでしょうか。
今の社会は民主主義であります。
とてもいい面もありますが、悪い面もあるのです。かの3.11と呼ばれる大震災によって福島の原発が大変な被害にあいました。
そこで、この日本という民主主義社会はその大きな問題を「専門家」にまかせっきりにしたのです。その結果、いろいろと問題が収束しなかったり、被害が増えたりしました。
しかしながら、知識がない人はそこでその物事を評価できないのです。意見が出せないのです。
つまり、勉強する意味というのは、
「自分の知識と、自分の口で、自分の意見を言えるようになる訓練をする」
ということなのです。
学校で勉強し、自分で本を読み勉強・教養を高めて行きつく先は知識の「受信者」から知識の「発信者」になるということなのです。
小学校、中学校、高等学校、そして大学など、多くのことを「師」から学びます。
ですが、今の社会ではその情報量では足りないのです。だからこそ、我々がいるのです。学校では教えられなかったこと、また、教わったことをより深く教えるために我々が生徒一人に対して講師一人の体制で丁寧に教えるのです。
学校の勉強は、自分の意見が言えるようになるための基礎固めなのです。ですが我々はその知識をより深め、理解しさらにもう一歩進んだ知識の定着、さらにはその知識を学んだ未来の片鱗をお見せするという自信があります。
[2015-06-26]