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塾長日記・2月6日(火)

こんにちは!稲毛校塾長の古賀八千代です。今日はちょっとまじめに、前から気になっていたことを書いていきたいと思います。今日のテーマは「日本語の乱れ」についてです!非常に気になる「れる」「られる」の使い方に関して色々調べてみました。皆さんは「ら」抜き言葉、賛成ですか?反対ですか?(ちなみに私は反対!!) それでは「見る」について話を進めていきましょう。 「見ることができる」ことに対して、皆さんは「見れる」と言いますか?「見られる」と言いますか? 「れる」「られる」は文法的に言えば、どちらも①受け身②尊敬③自発④可能の意味を持ちますが、この4つの使い分けは、上に付く動詞で変わってきます。動詞が五段活用&サ行変格活用⇒「れる」/それ以外⇒「られる」を使います。 では実際にはどうでしょうか?多くの人は 「見れる」=可能 「見られる」=受け身・尊敬 というように考えています。ところがこれは文法的には間違い!上記の理由から文法的には「見られる」が正しい日本語なのです。 しかし、聞き手は「見られる」(正しい使い方)だけを聞いた時、①~④のどの意味で言っているのか分からないんです。④の可能の意味で使っているのか?①の受け身・②の尊敬の意味で使っているのか?したがって、「見れる」を推奨している人は、「見れる」と言えば、すぐ可能だ!とわかるから、良いじゃないか!と言うんですね。 また、ただ単に「見れる」は「見られる」の短縮形だ!と言っている人もいるようです。 日本語って難しいですよね。日本語の「乱れ」と言うべきか「進化」と言うべきか。実は今、文章を入力している最中も「見れる」と入力すると「間違っていますよ!」という意味の波線が字の下に引かれています。私としては、どんなに立派なことを話している人でも「見れる」と使っている人を見ると「あぁ、もったいない・・・」なんて思ってしまうんですけどね・・・。

[2007-02-06]